Fenix History
最初の革新的な開発は2001年にDamoclesに設計された上下異径のヘッドチューブでした。2002年、ロードレース界ではアルミフレームの時代が終わりカーボンフレームの台頭は止まりませんでしたが、当時の開発エンジニアたちはカーボンフレームの強度不足に悩まされていました。RIDLEYは革新的な製品開発を目指し、その解決策を探求しました。そして1年後の2003年にDamoclesを発表しました。それはRIDLEYの初めてのカーボンフレームで、象徴的なダイヤモンドシェイプチュービングを採り入れました。このバイクは、その後10年間に渡りRIDLEYのDNAを決定づけ、ダヴィタモン・ロット(現ロット・スーダル)の協力を得て進化を続けました。
DamoclesのDNAは2013年にFenixへと引き継がれ、ダイヤモンドシェイプチューブはそのままにFenixシリーズはその後も進化を続けます。ロットチームのフィードバックにより、過酷な石畳(パヴェ)に覆われたベルギーの道を征服するためのフレームとしてブラッシュアップし続けています。Fenixシリーズは、パフォーマンスと快適性を重視して開発された究極のエンデュランスバイクです。
それでは、Fenixの物語をご覧ください。
Damocles 2003-2008
初めてのナショナルチャンピオン(オーストラリア)獲得。初めてのツール・ド・フランスでステージ3勝しました。ロビー・マキュアン(ダヴィタモン・ロット)はDamoclesのデビュー初年度だけでツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの両方でステージ3勝し、RIDLEYのCEO(ヨーキム・アーツ)の夢を実現させました。
Damocles 2009-2012
(現ビンクバンク・クラシック)
優勝候補のトム・ボーネン(クイックステップ)がラスト25km地点のクノクテベルグでアタックし、フィリッポ・ポッツァート(カチューシャ)とマキシム・イグリンスキー(アスタナ)が反応しました。やがてこの3人の優勝争いとなり、フィリッポ・ポッツァートはスプリントの末にトム・ボーネンを破り、DamoclesはE3プライス・フラーンデレンで優勝しました。
フィリッポ・ポッツァートは念願のナショナルチャンピオンを獲得。 イタリアチャンピオンの証であるトリコロールを手に入れ、ホワイトを基調にしたトリコロールカラーのDamoclesとナショナルチャンピンジャージでツール・ド・フランスに出場しました。
Fenix C 2013-2014
Fenix SL 2015-2017
2015年 ツール・ド・フランス
第15ステージはスプリンター向けのステージですが、すでに14日間のレースが過ぎ、さらにゴールまで残り60km地点に2級山岳が登場します。アンドレ・グライペル(ロット・スーダル)は登りをこなすことを考えFenix SLを選択し、ゴールスプリントでジョン・デゲンコルブ(ジャイアント・アルペシン)、アレクサンダー・クリストフ(カチューシャ)、ペテル・サガン(ティンコフ・サクソ)を振り切りステージ優勝を果たしました。
Fenix SL Disc 2018-2022
2018年 ブエルタ・エスパーニャ
スプリンター向けの平坦基調の第18ステージ。イエール・ワライス(ロット・スーダル)を含む2名で集団から抜け出し逃げる展開。後方から集団が迫る中、イエール・ワライスはタイム差0秒で逃げ切り印象的な勝利を収めました。
Fenix SLiC 2021-2024
現在、Fenixシリーズは、世界中のRIDLEYサイクリストの中で1番の人気モデルとなりました。